誰かが先に知ってたっていいじゃないか。気づくまでのプロセスはすべて自分のものだ。

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全部オレのもんだ。孤独も苦痛も不安も後悔も、もったいなくてタナベなんかにやれるかってんだよ。

「プラネテス」 幸村誠

今日ツイッターを眺めているとこんな記事が目に留まりました

4月から美大の学生になった。美大といっても、大学生と一緒に通う形のもんじゃなくって、ムサビが社会人向けにやっている各種学校のほう。普通に19歳と一緒に美大に入るには、私にはほかの生活がありすぎるので、1年分のカリキュラムを、私は週2日づつ2

「教わる」ことだけでなく「気づく」ということの大事さについて書いてあります。とてもいい記事なので読んでみてください。

そしてこの記事を読んで考えたのがアイディアに「気づく」こと自体を大事にするということです。

連立方程式に気づくまで

中学のころ塾の先生から聞いて印象に残っている話があります


教え子ですごい数学のセンスがある子がいたそうです。しかし家庭の事情で、塾をやめ、中学にもいかなかなくなってしまいました。

しばらくして、その子に偶然会って話をする機会がありました。その時にはもうその子も成人して働いていたそうです。

その子は先生に「数学で面白い発見をした」と言って嬉しそうに話をしてくれたといいます。

それは中学で習う連立方程式の解き方でした。中学に通っていれば、すぐにわかることをその子は長年かけて気づいたそうです。


塾の講師は「数学センスのある子でも長年かかって、やっと中学に習うことが少しわかるぐらいなんだ」「だから教わることは大事なんだ」

こういうことを伝えたかったのだと言っていました。それはなぜか今でも頭の中に残っています。

その当時中学生だった自分は納得して、しっかり勉強しようとかそのようなことを考えたんじゃないかと思います。

「気づく」こと自体を大事にする

確かに人に教わる方が効率がいいです。

話に出てきた子は中学に行っていれば、すぐに分かるようなことに長年かかって気づきました。恐ろしく非効率です。

でもその子が解き方に気づくまでに経たプロセスや楽しさ、達成感、あるいは苦しみというのは、教わって解き方が分かることから得るものとは全然違うんじゃないかと思います。

そこには「教わる」からでは得られない、「気づき」から得られるものがあったのではないかと。

例えば自分もこうしてネットの片隅でブログを書いています。

ブログ記事についてアイディアが出ればうれしいです。そしてそのことについて書こうとします。

しかしそのアイディアについて検索してみるとずっと前にそのことに気づいている人たちがいて落胆することがあります。

でも落胆する必要はないんだなと冒頭のブログを読んで「気づき」ました。

腑に落ちるといってもいいですね。

もちろん誰も思いついていないアイディアが出れば、それはそれですごいうれしいんです。

でも誰かが思いついていたとしても、それでも、自分で本を読んだり、体験したことをメモしたり、いろいろ考えてふとアイディアに気づくというプロセス。

その楽しさや苦しさ、そこから得られたもの。それ自体を貶める必要はないんだなと気づきました。

終わりに

もちろん人から教わるということはとても大事なことです。でも気づくということも同じぐらい大事にしてあげるべきだと思います。

今回私が気づいたことについても誰かはすでに知っているのでしょう。

でも気づきから得たこの感情、気づきについてブログに書くという行為、それ自体が自分の大切なものです。

中学のころの話が30代の今になって読んでいるブログ記事につながってくるという経験もとても面白いものでした。

この楽しさがある限り、私はアイディアを考え続けると思います。


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